古関裕而と福島

朝ドラ「エール」のモデルとなっている古関裕而。生涯で5,000に及ぶ名曲の数々を生み出した音楽の才能は、福島の土壌で培われたものでした。福島市名誉市民第一号であり、現在も多くの地元民に愛されているこの大作曲家と福島の関わりについて紹介します。

音楽の才能を伸ばした幼少期から青年時代

古関は、明治42(1909)年、福島市大町の呉服屋「喜多三」の長男として誕生。父親が音楽好きだったので、この頃まだ珍しかった蓄音機で音楽に触れる機会に恵まれました。福島県師範附属小学校(現:福島大学附属小学校)で音楽の素養を大きく伸ばすと、10歳で卓上ピアノを使って作曲に着手。クラスメイトが詩を持って作曲を依頼してくるほどの才能を発揮していました。

18歳でペンネーム「裕而」を持ち、常にハーモニカを携えながら作曲に情熱を注いだ青春時代。福島商業学校(現:福島商業高校)卒業する頃、念願叶って日本有数のハーモニカバンド「福島ハーモニカ・ソサエティ」に入団。昭和3(1928)年には、仙台中央放送局記念番組の出演も果たしています。また、卒業後は、母方の伯父が頭取を務める川俣銀行に勤務。文通で愛を育んだ内山金子と結婚したのは21歳の時でした。そしてこの年、コロムビア専属作曲家として上京します。

川俣銀行に勤務時の古関

福島を愛する心が生んだ永久不滅のメロディー

誰もが知る数々の名曲を生み出した功績をたたえ、昭和54(1979)年4月、福島市名誉市民第一号に推戴。推戴式は4月5日、福島市市民会館で行われました。佐藤達也市長が推戴状と名誉市民章をモーニング姿の古関に贈呈。その喜びを「福島市に生まれ育って本当に良かった」と述べています。昭和63(1988)年には、「福島市古関裕而記念館」も建てられました。

福島市長より送られた推戴状(右)と
名誉市民章(左)

「エール」放送を機に、福島市では〝古関裕而のまち〞として賑わいを増しています。青春時代を過ごした川俣町でも、スタンプラリーなどの企画を実施中です。これを機に、日本が誇る大作曲家の足 跡をたどる福島の旅へ出掛けてみませんか。

福島市古関裕而記念館

※スタンプラリー実施期間等については事前にご確認ください

TOPIC古関裕而まちなか青春館がオープン!

古関裕而が生まれ育った福島市大町で、貴重な展示資料とともにその業績を紹介する「古関裕而まちなか青春館」がオープン。当時の福島の町並みや時代背景なども知ることができ、ここを拠点に街歩きを満喫するのがおすすめです。


◎期間
11月30日まで開催予定
◎住所
福島県福島市大町9-20 NTT 福島大町ビル1F MAP
◎時間
10:00~16:00(入館は15:30まで)
◎定休日
会期中無休
◎電話
024-522-5025
◎料金
入場無料
◎駐車場
なし
古関裕而まちなか青春館
古関裕而の年表と生涯に作曲した5,000曲から1,000曲を抽出して展示

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